大学と企業の曲がり角?

 1968年といえば先進諸国と言われた国々で大学紛争が起こった年である。社会文化的におおきな曲がり角になったので、ヨーロッパでは「68年革命」と呼ばれることもある。日本でも学生運動の嵐が吹きまくり、東大と東京教育大学の入試が中止になった。大学の危機であり、曲がり角だったが、日本の大学の場合、方向転換をしたとは言い難いようだ。それに比べて73年の石油ショックは社会に大きな影響を与えた。それは産業界にとっての危機だった。石炭から石油へとエネルギー源の舵をきったところで石油ショックとなったからだ。大阪万博のときに原子力の火による電気が届けられた。高度経済成長は原子力によってなしとげられたわけではないし、まだ原子力発電は微々たるものであったが、73年以降は原子力こそが欠くべからざる電源として力をいれて宣伝された。ところが、他方で石油ショックを契機として省エネ技術はおそろしく進歩した。日本の70年代には、原発はなくても済むまでに省エネは進んだ。この省エネ技術の開発は80年代の日本企業の力となった。70年代は文字通り暗い時代であった。なにしろ街の盛り場では電気による光が消されていたから。そして企業内、とくに大企業の労働組織は、急速に60年代までとは違う暗い雰囲気の状態となっていった。「失われた10年」という言葉がよく言われるが、だれにとって「失われた」のか考えてみる必要がある。(121122)