一間社春日造

 「一間社春日造」は「いっけんやしろかすがつくり」と読む。

 なぜ、「一間」というのかと言うと、井桁の土台の上に4本の丸柱を立てた平面が。方一間(いっけん)であるから。方は正方形の一辺の長さ。要するに正方形の井桁の形に、四つの柱を立てたものの上に床や屋根を乗せる。「一間社春日造」という。春日造というのは春日神社本殿の形式だから。
 三間社の場合もある。

 妻入りで、庇(向拝)がついている。屋根は切り妻。屋根には反りがある。屋根の上には千木があり、懸魚もある。
 母(本)屋の軒は繁棰(しげたるき。棰とあき間が等しい)で、向拝は疎棰(まばらたるき。棰の幅より空き間が広い)である。
 この説明は、井上光貞監修『図説歴史散歩事典』山川出版社、1979年9月、を参考にした。ほとんどこれの説明をそのまま繰り返している。便利な本です。たしか、いまはこれの第二版(改訂版)がでているのではないでしょうか。歴代天皇の名前は、戦前の教育では教わったのでしょうが、これには古い天皇名は載っていません。古代の天皇の在位は歴史的事実としては疑わしいし、「非科学的な紀年法」だからということです。

 ちょっと横道にそれました。この春日造で注目すべきは、神社建築の「発展」のところに位置づけられていることです。その発展とは何かというと仏教建築の影響が春日造にあらわれているということです。春日造に関しては、切り妻屋根、照屋根、妻入り、向拝、朱塗り彩色が上記の歴史散歩事典には挙げられています。都祁水分神社の本殿も、拝殿とはちがって朱塗りでした。拝殿の横に回ってスリットのあいだからのぞいただけですからよくわからないところもありますが、平城京の再建建築の色彩などを思い浮かべればよいのだと思われます。奈良時代に(それ以前から)すでに仏教の影響が日本にはあって、神仏混淆本地垂迹説などの要素を加味して神社建築を見なければならないところもあるということですね。