都祁水分神社から都祁山口神社へは、ほぼ南の方向へゆく。小高い山のつらなりが正面に見え、山の麓の台地に集落が見える。集落の奥、山の麓に神社がある。写真にある手前の道は車で通行するのに余裕があるが、集落に入ると道が狭く大型車は厳しい。
背後の山はそれほど高い山とも見えないが、標高は500~600メートルくらいあると思われる。ここの大和高原の地がそもそも標高が高い。
正面に見える山の向こう側では、水は奈良盆地のほうに流れ、手前の方向の水は北の木津川のほうに流れ、右手の東側のほうにずっとゆくと、水は初瀬のほうに流れ、奈良盆地に入る。水が南北、東西に分かれるあたりに都祁山口神社はある。
もともと都祁水分神社は都祁山口神社にあった。
都祁村教育委員会の神社案内板には971年(天禄2)に、水分神社は友田に移されたとある。平安時代の中期にあたる。
都祁山口神社は、古代の闘鶏(つげ)の国の鎮守であり、また都祁村の山霊を祀ると案内板にはある。古くからの由緒のある神社であることがわかる。また現在の神社の様子もその歴史を感じさせるたたずまいをもっている。
この鳥居の前からの眺めはたいへんよろしいものです。