宇太水分神社(下社)
宇太水分神社の鳥居です。芳野川沿いに三つある宇太水分神社の下流にありますので、下社と言われています。榛原の下井足(しもいだに)といういうところあります。
鳥居のところを上がると参道が一直線に拝殿まで続いています。きれいに掃除がされていて、だれも参拝者はいず、参道のうっそうとした樹木のせいもあり、その分神域の雰囲気があります。
塀の奥にあるのが本殿。神明造りということですが、もとは春日造りだったそうです。明治11年の「神社形式令」というもので、春日造りから神明造りに変わったということです。明治政府は神道を持ち上げましたから(廃仏毀釈)、より古い神社の形式として神明つくりを選んで建て直したのでしょう。神明造りは直線基調が特徴。切り妻のところが三角定規のようになっています。千木があり、堅魚木が屋根にのっています。破風のところに小狭小舞(おさこまい)と思われる木が突き出ています。
中社の本殿と下社の本殿を両方見ますと、明治の宗教政策の受け止め方がそれぞれ違っていたのだろうなと推測します。
上の二枚の写真は宇太神社下社の鳥居の前から(県道31号)の眺めです。二枚目には榛原の街が写っています。すぐ近くには川が流れていて、榛原で宇陀川と合流します。
地図で宇陀川はどこへ流れていくのかと見てみますと、宇陀川は室生のほうに流れてゆき、名張川となり、名張川は笠置を経て木津川となり淀川へ注ぐようです。どうも、水は奈良盆地には入らないようです。