「年」という文字

 大年神の「年」とはそもそもどういう成り立ちなのか? ということが「大年神」について疑問となってくる。この漢字の成り立ちについては白川静『字統』がもっとも詳しく、字の意味を知るには役に立つ。以下、ほとんど『字統』からそのまま写したものである。他の辞書も参照したが、それほど詳しくなく、あまり参考にはならなかった。

 ○「年」:禾(か)と人に従う。禾は禾形の被り物。それを被って人が舞う形で、祈年(としごい)のための農耕儀礼を示す字である。禾は稲魂(いなだま)のような穀霊(こくれい)とみてよく、おなじくこの穀霊に扮して舞う女の姿を映した姿を委(い)という。(中略)

 ――白川は、「委」を女の舞う姿とし、「年」を男の舞う姿、と白川はしている。「委」は「女」という字が含まれているから、ただちにそうと知れる。
 (辞書の解説続き)(「年」という)字はもと会意。年と委は男女の田舞いの形である。[詩、周頌(しゅうしょう)、載芟(さいさん)]は、神田における耕藉󠄂(こうせき)の儀礼を歌うものであるが、その農耕を歌う詩句の中に、卒然として「その婦に思媚す 依たる士(おとこ)あり」と歌う。大地の生産力を刺激するために、農耕時にその地で男女の模擬的儀礼を行うことは、東南アジアにひろく認めることのできる習俗である。年と委とは、穀霊に扮した男女が、性的模擬儀礼を行うという習俗が、古代の中国にも存していたことを示す、注目すべき文字資料である。

 ――詩経の一文が引用され、そのなかに「依たる士」という表現がある。「依」とは、「人に衣をそえて、衣による霊の憑依や受霊の意を示す」ものである。また依には「依々」は思慕、「依稀」は彷彿、「依微」はほのか、いずれも恍惚たる状態をいう語である、と白川は解釈している。

 (辞書の解説続き)殷はその一年を、祭祀体系の一巡する期間に合わせて祀と称したが、周はその収穫をもって年を数えた。卜辞にも年を稔(ねん)の意に用い、「年(みのり)を受(さず)けられんか」「黍年(しょねん)を受(さず)けられんか」のように卜することが多い。一年の長さは月の盈虚によって数えるので、三百五十五日前後となり、それで卜辞には十三月ということが多い。年末に閏(じゅん)を置いたからである。歳はおそらく歳星の知識によって年歳の意となったもので、斉(せい)器に「立事の歳」のように用いる。夏(か)は歳、殷は祀(し)、周は年というとされるが、歳は最も後起の名である。

 

   このように白川『字統』にしたがって「年」という言葉を見てくると、たとえば「年末」というような一年の時間的流れのみの意味を「年」もっているのではなく、農耕とその稔りという実質的な意味がこもっている言葉であることがよくわかる。舞う男の姿、舞う女の姿を思い浮かべながら「年」という字を眺めてみるのも一興であろう。