長尾の滝への谷筋の道
長尾の滝への道の入口から少し行ったところに案内、警告板がある。谷川は「長尾渓」と記されている(「尾」という文字がほとんど消えているが)。ここを歩いてから後で2万5千分1の地図「生駒山」を入手した。それをみると谷筋は「額田谷」と記されている。川の名前は、川が近鉄線を大阪側にくだったところに豊浦町という地名があって、その下流は豊浦川という名前になっている。豊浦川は恩智川に流れこみ、恩智川は住道で寝屋川と合流する。地図を見て、この谷川は寝屋川の上流のひとつであると分かった。「額田谷」は額田の地名にちなんで国土地理院でつけたものだろう。
谷沿いの道には、点々とお地蔵が並んでいるところは六甲山のシュラインロードににているが、そこは尾根筋の道。谷筋の道というところはやはり六甲山の大師道に似ているか。道の広さが軽四がちょうど通れるような広さである。
地蔵院。このような建物がところどころにある。修行者などが使うのであろうか。
なかには廃屋になりつつ建物もある。歩いたときには途中のいずれの建物にも人気がなかった。
なかにはみどりにすっかりおおわれてしまった石像もある。
さらに登ると「大韓佛教観音寺」という看板があったので驚いた。建物はない。跡地だけのようだ。大阪には在日朝鮮人・韓国人が多かったし、今も多い。韓国では今はキリスト教信徒が多いけれど、以前は仏教徒も多かった。韓国仏教の寺があったということ、そしてここに信仰の跡があったということに感慨を抱いた。
歩いた日は暑い日だった。この道ばたの木で休憩し、おにぎりとお茶で昼食。休んでいるあいだ、蚊も虫も寄ってこなかったので助かった。
暑い日にはこういう川の流れを見るとほっとする。