東高野街道=国道170号線(旧)

大阪生駒線府道8号)を越えて少し歩くと、国道170号線(旧)と合流する。合流地点に「東高野街道」の標柱がある。それまで歩いてきた東高野街道とは、まったく道路の雰囲気が変わり、こういう標柱がないと旧街道であることがわからない。人が歩く街道が、車の街道にとってかわったということがよくわかる。さらにこの国道170号線というのは「旧」170号線で、新しい、もっと幅がひろい車用の国道170号線が少し西側に走っている。このような国道になると、「大阪外環状線」という別名が使われるように、もはや高野山を目ざす道路ではない。つまり「高野街道」ではない。旧の車用の道路でも規模が小さく、さらに大きな道路をつくり、産業用、商業用の道路になっている。道路を通るにしても、なんらかの宗教心を心にいだきつつ歩くのと、自動車の運転席に乗って、あるいは乗せられて、道路を通過していくのとは、まったく違った人間となっている。新しい170号線には高野街道などという標柱を建てることができないのは、ただ旧い街道という理由だけではなく、道路を通過する人間の目的が違うからだ。

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170号線(旧)と東高野街道の合流地点の標柱