小野神社(京都上高野)
古代の小野氏の本拠地は、山背国の小野だった。京都には小野の地名はいくつもあるが、本拠は今の上高野の小野。高野川が流れ、比叡山の方向にむかって両岸に山が迫ってくるところである。京都バスの上橋停留所で降りると、京都市内から見る比叡山とちがって、山が間近に壁のように見える。
ここから先は八瀬の山のなかに入っていく。反対側をみると高野川が少し開けたところにでて、さらに南の方向、松ヶ崎へと流れていく。地形と地名が一致する「小野」の地であることがわかる。
ここは平安京以前から小野の氏族が本拠としていたところだが、いまは崇道神社がここにあって、こちらのほうが目立つ。
崇道神社(崇導神社)への道をまっすぐたどり、手前で右手の広場のほうへゆく。
そこに小野神社がある。
簡素な神社の様子で、近江の小野神社とその一族の神社群を見てきたあとでは、本拠=本貫の地の神社にしては、ちょっと小さいのではないかと思ってしまう。しかし、この地こそが小野氏の本貫地だったことは、小野毛人(えみし)の墓がこの裏手の山の中腹にあることがわかったからである。
山上140メートルと書いてあるので、この細道を登る。石柱にある「塋」(えい)はぐるりと地を限ってつくられた墓のこと。
登っていると途中でかさこそ音がするので、そちらをみたら蛇がいた。やりすごして更に登ると石碑がある。
これが毛人の墓だろうかと眺めていたら、これから50メートルほど上を大きな犬が左手から右手へ走っていった。高槻の山中でも同じように犬が走ったので「またか」と思った。文字が刻んであるようだが、読めないので、念のため更に上に登ってみた。
尾根筋まででて、頂上のところまで行ったがそれらしきものはないので、さきほどのところだろうと引き返す。この山道も人が通らないらしく、蜘蛛の巣だらけで、手にもった小枝で蜘蛛の巣を払いながら歩いた。
手前の小山の緑は修学院。画面中、左手の小山は吉田山。京都タワーも見える。こういう場所である。もっとも奈良、平安期にはこんな眺めではなかったはず。
なぜ小野毛人の墓であるかとわかったのかというと、そこから小野毛人の墓であるとの文が刻まれた銅板がでてきたから。この銅板はあとで墓に入れられたらしい。現在は国宝に指定されている。小野妹子の墓は、近江の小野と大阪南河内の太子町にある。妹子の子どもの毛人の墓がここにあるのは、ここが小野氏の本拠地だったからだ。