青谷寺のほうから池をはさんで金山彦神社が見える。(写真中央)
金山彦(毘古)神社の鳥居。ここは製鉄の神さまとして信仰されている。最近は、もっと信仰の範囲がひろがっているようだ。これは鳥居の左手にある説明板に詳しく書かれてある。
『古事記』にも登場する神様でたいへん古い。製鉄業とのつながりが深いとされているが、製鉄の技術は朝鮮半島からの渡来人がもたらしたものであるとされ、金達寿が書いたものを読むと、そのことが強調されている。境内のまわりの石柱に奉納者の名前が刻んである。日本にある通常の名前ではない珍しい名字も見受けられる。金達寿が言っているように、今まで連綿とその家系が続いてきたのだろうか。そういう意味でこのあたりで感慨にふけるのもいいだろう。
ただし、拝殿はあたらしくつくられたばかりのようで、古さにたいする感慨は打ち消されてしまう。それにここらあたりの神社の多くには伊勢神宮遙拝所があって賽銭受けまである。金山毘古神を産んだ伊邪那美神は、死して比婆の山(広島県比婆郡に伝説地がある)に葬られたと古事記にはあるから、逆の方向の西を向いて遙拝をしてもよさそうなものなのになどと思ってしまう。
金山毘古神社があれば、金山毘賣(媛)神社も近くにある。そこへは、ここからさらに道を上ってゆく。