長尾の滝の上に、慈雲尊者が雙龍庵という庵を建て、41歳から54歳にかけて14年間にわたり、ここで隠棲していた。この間に『梵学津梁』一千巻の殆どが出来上がったと言われている。日本における梵語研究の集大成という画期的業績である。
雙龍庵という名前の由来は、雙龍庵の本尊である釈迦如来像の蓮の台座の下に、二体の龍があるという本尊の形から付けられたという。(龍を数える単位は何だろう?)
庵の一部である禅那台は、その復元された建物が長栄寺にある。
禅那台の西には円窓があって、「五景窓」と名づけられたようだが、この窓からは大阪湾が望めたようだ。
「海原や八重の塩風おのづからまどのかざしの淡路島山」
淡路島が歌われている。今は樹木が茂り、海を見ることはできない。
庵跡への指示標があるのでそれにしたがって石段を上がる。
石段をあがってゆくと東南窟という建物が岩盤の上にある。左手の岩がおおいかぶさるようにはりだしている。ここは今も使われているのだろうか。
大きな上部が平らになっている岩で、ここで慈雲尊者は座禅をしたという。目の前は開けていて、大阪湾や淡路島も見えたのであろう。この日は霞があり下界は見えなかった。また樹木が生い茂り見通しのある日でも見えないかもしれない。俗人には眺めのことばかり気になるが、よくぞこういうところで修行、学問に専心できたものだと思う。
雙龍庵の位置から天龍院を見る。屋根にブルーシートがかかっている。滝とその上の雙龍庵があったところとはこのよう高低差がある。
「鐘の音もきこへぬ窓のあけがたに身のおこたりを告る月かげ」
これも「五景窓」にちなむ慈雲尊者の歌のひとつである。