美沢橋(大阪府茨木市)

みさわはし

 阪急南茨木駅から歩いて佐和良義神社に行くには美沢橋を渡る。「みさわはし」と欄干のところにプレートが貼られている。「美沢」という名称には理由があった。

阪急南茨木駅の近辺地図

 これは阪急南茨木駅にある駅近辺の地図である。阪急線を水平に描いているので南北軸でみるとちょっとヘンな感じになるが、左手下のほうに元茨木川の緑道をはさんで沢良宜西、沢良宜東、沢良宜浜の地名が見える。いまはびっしり家が建て込んでいるが、昔の地図(古地図)で見ると、「さわらぎ」の「西」「東」「浜」のそれぞれの村の集落は離れていて、集落の間には田圃が拡がっていた。三つの別々の集落のおもむきだったのである。都市化がすすみ、住宅開発もすすみ、あたらしく地名を考えるにあたって、三つの浜のほぼ真ん中にあるので、最初は「三沢」(三つの沢良宜)の意味として、さらに「三」を「美」に変えて「美沢」としたとのことである。「美沢町」はこういう経緯で生まれた地名。佐和良義神社のある場所は、沢良宜「東」「西」「浜」の入会地なので無番地だった。いったん西599番地で登記したが、昭和43年の新住居表示で三・沢良宜から三沢をのこし、三を美に変え美沢町というシャレた地名を設定することに意見が一致し、「美沢町9番27号」と登記地とした。(高島好隆『私本 いばらき風土記』36、37頁)

「小川」

 「みさわはし」の下を流れる川は「小川」というのか! あちらの欄干のところにプレートが見える。小川にしては少し大きめかな。

小川の上流方向

 「小川」の上流方向を見ると、こんなふうで普通の川にみえる。向こうに見える橋は「防領橋」。地図をみると「防領川」と記してある。そのように呼んでいるのかもしれない。近くに「小川町」という地名があって、川は名前は途中で変わるから複数の名称をもっているのかもしれない。この川は元をたどると元の茨木川のところにいきつき、安威川勝尾寺川からの水が今も流れていることがわかる。農業用水として使われていた(いる)のだろう。

 つい最近、大阪の人に南茨木あたりはすっかり変わってしまった、という話を聞いた。大阪から京都の大学に阪急で通学していたのだそうだ。南茨木あたりは田圃ばかりで家はなかったのに、という話である。たしかに少し前までは水田がひろがっていた風景を私も覚えている。クルマの中央環状線、阪急線、モノレールが南茨木を通り、たしかに「都市化」した。元の「村」の時代からは10倍以上の数の住宅ができた。いまはもっと多い住宅の数だろう。そうなると新設の地名を設けなければならない。都市化のありさまを見るには南茨木はうってつけの場所かもしれない。