1980年代の文化研究

 戦後の日本は「文化国家」をめざしたが、時々の時期に応じて「文化」に求めるものも異なっていた。1980年代になるとオイル・ショックから日本経済は脱却して、海外へ、なかでも東南アジアへと企業は進出していった。またアメリカとは自動車をはじめとして日米経済摩擦を引き起こした。政治と経済の分離、文化と経済の分離が唱えられるが、実際は政治、文化は国際間の「摩擦」と大きな関係があった。この時期に文化の問題が取りあげられるようになったのは当然のことであった。日本文化研究の代表的な機関と言えば国際日本文化研究センター日文研)が京都に設立されたのが、1987年である。その準備は1982年から始まっていた。「日本文化」の特殊性を扱うことは、国際社会において必要欠くべからざるものであった。まずは足元から初めて「日本文化」の何であるかを知ることは、日本という国の自覚に繋がるものと考えられていた。ただ、そこには「特殊性」なのか、「普遍性」はないのか、「単一文化」なのか、そうでないのか、などの、そのあとの問題が生じてくる。当時の「日本的経営」が経済的成功の鍵であるとされたが、その「日本」性に普遍性があるのかという問題が、経済的問題とからめて提起されていたのである。(121115)