嗛間丘(ほほまおか)から

 本馬山に登ろうとして、麓までたどりついたが、登り口が見当たらない。北のほうには池があり、山麓は個人用地のようで、行けなさそう。仕方がないので、ふもとを南の方向に回っていると少し高地になっている公園があらわれた。上がってみる。ここが嗛間丘となづけられていた。神武天皇が国見をした丘陵は、掖上(わきがみ)の嗛間丘(ほほまおか)とされているので、この場所かどうかはわからないが、とりあえず眺め渡すことができる高台はここしかない。

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葛城、金剛方面の眺め

 雲がでているので、写真が暗いが、丘からはこんな風に見える。南方を眺めている。

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ほほま丘からの南方の眺め

 さらに視線を左に移すとこんな風に見える。

 最初、国見というのは、本馬山の上から北方に向かって国見をしたのだろうと思い込んでいたが、この低い高さから南方を見ると山にぐるりと取り囲まれているように見えるのである。本当は、この丘から葛城山の麓にかけて平野が北方へとひらけているのだが、視野のあんばいで、開けている方向は見えない。かくして山に囲まれた地という感となる。奈良盆地の南部、東部の山波がはるかに見える。

 「蜻蛉(あきづ)の臀呫(となめ)の如く」という言葉が書紀の神武紀にはあるが、そのような見え方がするといえるだろう。ただし少し狭い土地の見え方がする。葛城山麓から見ると奈良盆地が山に囲まれた様子が実に雄大に見えるから、くらべると土地が狭く見えるが、こちらのほうがやまとの最初の土地として身の丈にあっているとも言えるだろう。「となめのごとく」のスケール感は実際にその場に身をおいてみないとわからないものだと思った。