#兵庫県
生田神社の門。門の向こうは阪急線の山側の繁華街へとつづく。ここを通ると、なんだか仏教寺院の山門に似ていると思ってしまう。柱は朱塗りで細く、神社建築といってもよいのだろうが、伊勢神宮の門などと比べると派手だ。いまは繁華街の真ん中にあるから朱…
神戸の生田神社。神戸観光の定番。神社といえども周囲には飲み屋、ホテル、買い物のための店、海側にはセンター街、西には官庁街が、山側には北野の異人館街がひろがる。たとえば東急ハンズの裏口から出れば、あれこんなことろに神社が、という具合。これが…
神戸生田神社の生田の森。神社本殿の背後には社叢を従えているところが多い。境内地が広い必要があるが。弓弦羽神社(御影)、六甲八幡神社などがそうだ。生田神社の生田の森は背後の森のなかに入ることができる。道が整備され掃除がしてある。森というイメ…
生田の森には戦争を体験した木があることはよく知られている。半分がた米軍の爆弾投下で焼けたが生き残った。注連縄が張ってあり、神木として扱われている。神戸は戦争で焼けたという痕跡を伝えている貴重な木でもある。生田神社にあったからこそ生き残った…
にしむら珈琲店のところから向かうは生田の森。この日は日中。どういうわけだか生田神社のところを通るときは夜のことが多かった。今日は日中だ、ということで生田の森へ。ここは夕方4時以降は閉じられるので、入ることができない。だから夜に生田神社に行っ…
阪急三宮の山側を適当に歩いていたら、にしむら珈琲店のビルの全景が通りの先に見えた。神戸の代表的な珈琲店で知らない人はいないと言っていいほどの名店だ。だがわたしは、いつ行っても混んでいるので、ここへはあまり行ったことがない。たまに行くとやは…
庭先に大きな甕に蓮の花が咲いていた。きれいだたので、ちょっと一枚。
御願塚古墳と濠の様子。住宅地のまんなかにあって、歩いていると建物のあいだから濃い緑が散見される。旧い家でもあるのだろうか、と思ったところが古墳だった。北摂地域にはこのような古墳があちらこちらにある。
南神社があるところは「御願塚古墳」という古墳である。神社の社殿が古墳の上にあり、そこから下を眺めると周濠が円形になっているのがわかる。古墳の上は思ったよりも高く、昔は周囲の家がなかったであろうから、遠くまで見晴らせたのではないだろうか。
伊丹のホールでコンサートを聞いたあと、阪急の駅に向かって歩いていたとき、目について立ち止まった。なんだろうか。鳥居があって南神社とある。ここはもと古墳だった。そこに神社があとで設置された。帆立貝式古墳というあまり聞いたことがない名前の形式…
五宮神社から古本屋をのぞいてから降りの道をたどるとたまたま平野の地蔵堂に行き着いた。いったん通り過ぎようと思ったが立ち寄って案内板を見ると、ここが平野の一本松があったところとわかった。分水嶺にあたり、一帯の中心部だった処という案内板を見て…
五宮神社の境内は樹木もほとんどなく、あっけらかんとしている。となりに祥福寺が見え、五宮神社の境内からは祥福寺の三重塔(であろう)が見える。寺の山門のところからは気づかない。由緒書きには天穂日命が祀ってあると書かれてある。出雲との関係がある…
ポケット地図を見ながら五宮神社のほうへ歩く。神戸には一宮から八宮まであるが、そのうちのひとつ。 道標があり、鶏が付けられている。
祥福寺の山門の近くに野菜畑が見える。きれいに野菜が整列していて、市民農園によく見られるような畑というより園芸という感じを受けるほどだ。野菜は典座(てんぞ)により供される食事の素材となるのだろう。野菜つくりも修行の一環という見本かな。
山門をくぐり内へ。禅寺らしく塵ひとつなく掃除が行き届いている。修行中の雲水もいるから毎日掃除がなされているのだろう。すぐ奥のほうが庫裡になるのであろう。「観光」寺院ではないので、寺に修行などの用がなければここまで。しかしたまにこういう場所…
祥福寺をさいしょに訪れた(発見した)のは、中央区から兵庫区にかけてぶらぶらと山麓の道を歩いていたときだった。まるで京都の寺のような寺院があらわれたので、おやおやと思った。京都ならばいくらでもある禅寺だが、神戸では、とくに阪神間では、行き当…
六甲山のケーブル駅の近くから油コブシへの道を下る。下のほうで高羽道と合流して老人ホームの上に出る道だ。最後のところが湿地帯になっている。以前はここが切り払われていたのだが、そのうち草木が生い育って、踏み込めないような状態になった。植物の生…
六甲山荘は文化庁の有形登録文化財、経済産業省の近代化遺産に登録されており、それを示すプレートが玄関先に掲示してある。近代化遺産というは何をもってか?という気がしないでもないが、山荘=避暑のための家、洋風建築であって、日本「近代」の新しい生…
六甲山荘の応接間、居間、食堂は北側を向いている。寝室、子ども寝室は南向き。写真は北側から見た六甲山荘の様子。窓が大きくとられ、開口部が広い。光を取り入れるためだろう。外の北側から見ると窓や扉の枠の白のペイント、屋根の形状、建物全体のバラン…
ヴォーリズ六甲山荘には女中さん(お手伝いさん)の部屋があり、ここは畳敷になっている。アイロンをあてるのに便利なように壁にアイロン台がしこんであって、扉を開くとアイロン台を出して、立ってアイロンをあてるようになっている。よく出来ている、これ…
六甲山荘の寝室のところに六甲山荘の建築主であり、住人だった小寺敬一氏の写真と簡単な経歴の案内がある。小寺氏は関西学院を卒業したあと、アメリカに渡り、インディアナ大学、コロンビア大学で学んだ。帰国したのちには母校の関西学院の教授になった。現…
この案内指示板がでてくればあとは大丈夫。六甲山小学校、神戸ゴルフ倶楽部などのおおまかな位置関係がわかっていると迷うことはない。少し登って、少し降りて、少し登ると山荘の入口に着く。右手にはゴルフ場が見える。山荘は林のなかにあって入口からは見…
太田酒造の貴賓館を見学してから、以前から行きたいと思っていたヴォーリズ六甲山荘を目指すことにした。ケーブルで上にあがり、そこからは山の地図をみながら山荘地帯を歩くことにした。最初は車道だが、取り付きの分岐点での案内板には「小寺山荘」の名が…
ぬえ塚をあとにして、芦屋公園を通り、谷崎潤一郎記念館まで歩く。いつもは車で通るところ。歩くとけっこう距離がある。記念館の前までいって入らず、緑町交差点(T字路)までもどりそこから中央公園までの道をたどる。車で走っていてもここらあたりは緑が多…
橋を東側へ渡るとすぐ左の松林のなかに「ぬえ塚」がある。案内板も設置されている。「鵺」だと読めない人がいるかもしれない。頼政が退治し、京都の桂川に流したぬえが芦屋の浜に漂着したという言い伝えは、淀川を通じての京都桂川の津と摂津の津(浜)との…
神戸市東灘区から芦屋の方向に向かって歩く。川に近くなり「お屋敷」の数が多くなる。川口には橋がないので少し山側に戻って橋を渡る。山側は阪神高速と市役所が、川には水が見える。海側の川は水が消えている。推量が足りなくて消えたようだ。海には阪神高…
駐車場の方からはとんがり屋根が二重になった特徴的な家が見える。冨永邸とともに深江文化村に残った二邸のうちのひとつ古澤邸である。駐車場から写真をとろうとしていたら、大きな車が入ってきたので退散し、家の入口の方から一枚。古澤邸も登録有形文化財…
深江文化村は中心に芝生の広場があって、その芝生を取り巻いて家が並んでいた。今は駐車場になっている。海側のマンションもなかった。すぐ近くが海だから芝生の広場に海風が通るのびやかな景観をかたちづくっていた。20年ほど前にはそれでも数軒は「新しい…
太田酒造貴賓館から東へ行き、すぐに山側右手に冨永家住宅はある。深江文化村と呼ばれた一角にあって、深江文化村へは20年あまりにも前にも来たことがある。もう当時の面影はなく、「文化村」という呼称はなぜ付いたのかがわからなくなってしまった。冨永…
灘貴賓館の外部を側面から見た様子。1階の左側が食堂、右側が応接室、二階の左側が和室となっている。奥に出っ張り屋根が見えるところは勝手口。台所(調理場)などは非公開で見ることができなかった。 二階ベランダのアーチ、その下の意匠のアーチ、一階テ…