大東市歴史民俗資料館のところから、東高野街道を南下するとすぐに「メノコ橋の欄干」がコンクリートの上に並べてあり、となりにその説明板がある。詳しい内容はその写真の説明を読んでもらうことにして、昔ここには井路があり、橋が架かっていた。その石の欄干が置いてある。時代はさかのぼり、弘法大師がこの近くで修行をした。夜は橋の欄干にもたれて寝た。その橋のあとを「メノコ」(ネドコの訛り)というようになったとのこと。石橋で石の欄干があるのだが、これは明治時代のもののようだ。弘法大師と高野山から、「高野街道」という名称ができたのだから、弘法大師伝説がここにあって、伝わっていることが大切だろう。