「野」と「原」(司馬遼太郎「阿波紀行」)

司馬遼太郎『阿波紀行、紀ノ川流域』の「三好長慶の風韻」のところに(99頁)、「原士」(はらし)という言葉が出てくる。これは、司馬の言うところによると、「湯桶読みだが、稲作できない土地を耕す武士のことであり、阿波独特の制のことである。数は藩全体で60人ほど。その半分は阿波郡に入植した」。このようなことを司馬は述べている。まず問題は「原」という言葉。「水田にできないところを原といい、水田化されたところを野といった」。ここで「原」と「野」が区別されている。

ふつう「野原」と言ったり、「原野」(げんや、あるいは「はらの」さんという人の名前)で、どちらも同じような意味につかっていることも多いのだが・・・。「原士」というのはあまり聞かない。阿波独特の制度だからか。

司馬遼太郎は別のところでも「原」と「野」を区別していたような気がする。また「野」を水田と結びつけて説明していたような気がする。そして「野」という言葉=漢字の使いかたは、もともとの漢字の意味とは違うとも捉えていたのではないか。

そしてこの司馬の用語法は、おそらく日本民俗学創始者である柳田國男の考えと関係があるのではないかと思いいたった。