柳田國男の地名研究における「野」の意味

 白川静『字訓』での「野」の意味の解説は、『字統』での解説にはない意味が入っていました。そのもとは『岩波古語辞典』の「野」:「広い平地。多く山裾の傾斜地などにいう」と書かれているように、日本語になって生じた意味が取り上げられているように、漢字の「野」の語義の変化があったようです。

 この変化を、地名の研究を通じてはっきりと指摘しているのが柳田國男です。

 『定本柳田國男集』第20巻に収められている「地理と地名」から引用してみましょう。

 「・・・其中でも実例が殊に多く、意味に著しい変遷があったらしいのは『野』という言葉であった。
 是は漢語の野といふ字を宛てた結果、いまでは平板なる低地のやうにも解せられて居るけれども、『ノ』は本来は支那には稍〻珍しい地形で、実は訳字の選定の六つかしかるべき語であった」(41頁)。

 柳田は「野」は漢字を宛てたが、中国ではやや珍しい「地形」であることをはっきり述べています。それが日本では山裾あたりのゆるやかな地形を指して使われていることが特徴であると把握しています。

 「白山の山彙を取繞らした飛騨越前の大野郡、美濃と加賀の舊大野郡、さては大分県の大野郡といふ地名を見ても察せらるやうに、又花合わせ骨牌の八月をノといふ人があるやうに、元は野(ノ)といふのは山の裾野、緩傾斜の地帯を意味する日本語であった。火山行動の最も敏活な、降水量の最も豊富なる島國で無いと、見ることの出来ない奇抜な地形であり、之を制御して村を興し家を立てたのも亦一つの我社會の特長であった。野口、入野といふ類の大小の地名が、山深い高地に在るのも其為で、是を現在の野の意味で解こうとすると不可解になるのである」(同上)。

 このように日本の「野」がつく地名と地形を照らしあわせて、「山の裾野、緩傾斜の地帯」を意味する日本語とはっきりと述べています。「山深い高地」に「野」がついた地名があるのはそのためで、この日本の地名を漢語の本来の使用法、意味で解釈しようとすると「不可解」になると言うのです。ここまでくると「野」は国字である、と理解してかかったほうが良いかもしれません。そのうえで、柳田がいくつも挙げていますが、日本の「野」がつく地名・地形をみますと、なるほどと思うところがあります。