2016-01-01から1年間の記事一覧

松江武家屋敷とお濠端の道

松江の旅行ガイドブックに必ず出てくる武家屋敷とお濠端の道の景観。近くに住んでいたら毎日散歩したくなるような道だ。小泉八雲旧居の隣には、小泉八雲記念館があり、また近くには田部美術館がある。時間がないので記念館のほうだけ行った。

古澤邸(深江文化村)

駐車場の方からはとんがり屋根が二重になった特徴的な家が見える。冨永邸とともに深江文化村に残った二邸のうちのひとつ古澤邸である。駐車場から写真をとろうとしていたら、大きな車が入ってきたので退散し、家の入口の方から一枚。古澤邸も登録有形文化財…

小泉八雲愛用の机

この八雲が愛用したという机はレプリカ。机の面までが高くて1メートルほどある。普通の机は70センチくらいの高さ。椅子の座面も高い。見ていたらおじさん、おばさんの団体が入ってきて、或るおじさんが「机が大きいだろう。八雲は外人さんだから」とおばさん…

深江文化村のあと

深江文化村は中心に芝生の広場があって、その芝生を取り巻いて家が並んでいた。今は駐車場になっている。海側のマンションもなかった。すぐ近くが海だから芝生の広場に海風が通るのびやかな景観をかたちづくっていた。20年ほど前にはそれでも数軒は「新しい…

小泉八雲旧居の庭

小泉八雲旧居は庭を見るべく公開されているので、旧居のすべてを見ることはできない。八雲のエッセイには庭について書かれているところが多い。池についても触れてあったような記憶がある。

冨永家住宅(深江)

太田酒造貴賓館から東へ行き、すぐに山側右手に冨永家住宅はある。深江文化村と呼ばれた一角にあって、深江文化村へは20年あまりにも前にも来たことがある。もう当時の面影はなく、「文化村」という呼称はなぜ付いたのかがわからなくなってしまった。冨永…

小泉八雲旧居

松江城の稲荷橋から新橋を渡り、濠端を歩いて交差点を渡れば右手に小泉八雲の旧居がある。根岸家(根岸干夫)が武家屋敷に住みたいという八雲に貸したものである。ここには1年と少しの間住んでいただけだ。庭をたいへん気にいって、八雲の作品にも庭の様子…

灘貴賓館の側面

灘貴賓館の外部を側面から見た様子。1階の左側が食堂、右側が応接室、二階の左側が和室となっている。奥に出っ張り屋根が見えるところは勝手口。台所(調理場)などは非公開で見ることができなかった。 二階ベランダのアーチ、その下の意匠のアーチ、一階テ…

松江城稲荷橋からの内濠の眺め

城山稲荷神社を出て、護国神社の下の道をたどると稲荷橋に出る。内濠の向こう側に街並みが拡がる。小泉八雲の旧居は正面右手のほうに少し行ったところにある。手前にトイレの建物があるので、橋からは見えない。居宅と城山稲荷神社、城は近いからちょうどい…

一階応接間、二階和室(灘貴賓館)

灘貴賓館一階の応接室として使った部屋であろう。椅子と机が置かれている。建物は外見が洋風だが、二階に和風の部屋、書院風のつくりの十二畳の部屋がある。ここも来客用に使ったのであろう。二階にあるのは珍しいとは思うが、現代では高層マンションの一部…

狐の一対(松江城山神社)

城山神社にある狐の置物は、なかなか眼をひく造形をしてしている。たとえば、これ。阿吽のかたちに口を少しひらいたものと閉じたものだから、一対でつくられている。その頭部の造形は怪談の国に相応しいように思われる。八雲が愛でた狐がとぼけた顔つきをし…

照明器具(灘貴賓館)

洋式の家によくあるように、ここにも一室だけ庭に突き出た小部屋がある。そこに下がっている照明器具。灘貴賓館について紹介されるときに必ずといっていいほど登場する照明器具だ。金平糖のような形をしている。つくったひとは幾何学的思考に優れていたのだ…

太田道灌像(太田酒造貴賓館)

貴賓館の内部には太田道灌像が置いてあった。酒造会社の酒の名前(「道灌」)にもあるように、会社のアイデンティティを象徴するもの。神戸の深江でこのような江戸とのつながりを見るとは思いもしなかった。

八雲が好んだ石狐

小泉八雲はこの石狐をとくに好んだという。石の形が風化してよく分からないが、神社の門のところには元の狐のレプリカが置いてあるので、すでにこれは面白いと感じていた人は八雲と同じように感じたということだ。

貴賓館玄関

通常は貴賓館には入れないのだが、この日は沿線ウォークの催しがあって、見学ができた。数日前に公開情報を知ってこの機会を利用させてもらった。洋館のかたちではあるが、内部へは靴を脱いであがる。だから玄関。アーチ、瓦など「洋風」を連想させる意匠が…

白狐の置物(城山稲荷神社)

城山神社の脇のほうに回ると沢山の小さな白い狐の置物が並んでいる。小泉八雲も眼にとめたようである。昔はもっと沢山あったらしい。じっと見ていると逆に狐たちに見られているような気がしてくる。

灘貴賓館(太田酒造)塀の外から

太田酒造の隣に、「灘貴賓館」がある。太田酒造が現在は「貴賓館」として維持している。この建物はヴォーリズが設計に関わったとされている建物である。通常は公開していない。このように塀の外から眺めるだけだ。それでもなんとなくそれらしい雰囲気は窺え…

城山稲荷神社参道

城山稲荷神社参道。「城山」は「じょうざん」と読む。小泉八雲が松江にいたとき、散歩でここによく立ち寄っていたという。八雲の居宅は、神社と城の堀を挟んた向こう側にある。この日は祈願の人がいたので参道の下にまで太鼓を打つ音が響いていた。参道をあ…

太田酒造株式会社

深江大橋の山側橋詰を左に(東に)曲がり、「いそじま公園」をすぎてしばらく歩くと、「太田酒造(株)灘醸造場」がある。滋賀県の酒造会社で「道灌」という名前の酒を出している。酒の名前からわかるように江戸開府の太田道灌ゆかりの酒蔵のようだ。その会…

松江城

松江城の正面を仰ぎ見る。天守入口に附櫓があって、屋根の反りにいっそうリズム感を増している。全国に残っている旧城12のうちのひとつ。元国宝だったが、重要文化財になり、平成27年に再び国宝に指定された。平成24年に「慶長拾六年」(1611年)の祈祷…

大日霊女神社(深江)

阪神深江駅から海側すぐのところにある大日霊女神社。祭神は大日霊女(=天照大神)、稲荷神、えびす神が祭ってあるという。案内板をみると歴史的には、もと仏教の真言宗の寺だったが、浄土真宗に改宗。もとは大日如来が祀られていて、「大日っあん」の呼び…

洋館(松江城)

松江神社の隣にある洋館。「御書院跡」と書かれた木柱がある。洋館だし、明治以降に旧藩主が建てたものかもしれない。行ったときは回りに綱が張られていて、これ以上近づけなかった。修理中だったと思う。車寄せ(当時は馬車寄せ)がある。屋根は瓦葺き。内…

松江神社社殿

大楠のところからさらに少し登ると松江神社社殿が目に入る。主祭は松平直政(初代藩主)、徳川家康(合祀)、松平治郷(不昧公、配祀)、堀尾吉晴(松江開府の祖、配祀)、というひとが祀られている。社殿は堀尾吉晴が朝酌村に祀っていた東照宮の社殿をもっ…

むしろ編み台(神戸深江生活文化史料館)

これは「むしろ編み台」。神戸の深江生活文化史料館の展示物です。稲わらを編んで藁紐をつくり、それを編み上げて「むしろ」をつくる。藁紐からは草履もできる。小さいときに藁草履をつくらされたが、子どもの細工だからうまく作れなかった。紐をつくる道具…

松江城の大楠

大手門跡を過ぎていよいよ登城。出迎えるのは楠の大木。大木をみるとなんだか心が落ち着く感じがする。楠の木陰を通して見える広場には館が建っていたのだろう。いまはまばらに木が植えてあるだけだ。

生活史料(深江生活文化史料館)

深江生活文化史料館の2階には、昭和の深江地区の生活で使われていた道具が陳列されている。よく「昭和の時代」と言われるが、手前にある木製の電気あんかは平成の時代の昨年まで使っていたものそのもの。長年使ってコードがぼろぼろになってショートするかも…

唐箕 (深江生活文化史料館)

阪神深江駅を降りてすぐ、海に向かって左手に神社がある。その神社の左手奥に深江生活文化史料館がある。入場無料。深江財産区がつくり維持している施設だ。なかに入り、階段を上ると眼につくのがこの唐箕。米と籾殻やゴミなどを選別する道具である。取っ手…

松江城大手門跡

松江城大手門跡。今は礎石だけが残っている。大手門は追手門と書くこともある。城の正面の門である。正面だから、それに相応しい門が建っていたはず。古い絵図などは見ていないから、想像力によってこんな門だったかなと思いながら通過した。

阪神電車深江駅

阪神電車の深江駅にはじめて降りた。阪神電車はずっと高架工事をしているが、深江駅もほぼ高架駅となったゆようで、新しくなっている。阪神は乗り換えで使うことがおおいので下車して駅前に出ることは、いつも利用している駅を除いてめったとない。ちょっと…

松江城入口

松江城へと入ると見えてくるのは、城の石垣、隅櫓。松の木が塀の上に大きく伸びている。門がないのでちょっと他の城とはイメージが違うが、元はここにも建てものがあったのだろうな、といろいろ想像してしまう。石垣の前に小屋があるが、なんだろうと思いな…